田村正勝コラム:理(ことわり)と情(なさけ)と三昧

有時而今(うじのにこん)

 山に登っている時の山は、以前に地上から美しいと眺めた山ではない。物理的には同じ山であっても、いま登っている山は、単に眺めた山と意味が違う。そのように全ての現象や存在物は、認識する者の「その時々の認識と行為」とともにあり、「認識・行為の時」と切り離せない。それゆえ全ての「存在(物)」は、「ただ今、この時の一回かぎりの存在」であるゆえ、存在はこの一瞬の時とともにある。

 

 道元の「有時而上今(うじのにこん)」は、このことを意味している。全ての存在が「有」であり、それは「時間」である。その時の存在であり時間であり、代替し得ない「一回かぎり」の「存在」であり「時間」である。それゆえ道元は「ただ今、現在」に浸り切る「三昧」の大切さを主張し、「有時而上今」を説いた。

 

 何のためにとか、悟りを得ようとか考えずに、ひたすら座禅をする「只管打坐」の教えである。これは「大自然に生かされて生きている本来の自己の姿」に浸りきるところの、「自受用三昧(じじゅゆうざんまい)」の実修実証にほかならない。同様に夏の炎天下に老人が、ひたすらに茸を乾す。陽が落ちて涼しくなってから、あるいは誰か若い者にやってもらうなどと考えずに、茸乾し三昧の「只管乾茸」である。これも同様に、何事につけても「瞬間々々三昧」であれとの教えである。

 道元が中国で修行していたある日、腰が曲がり地面に顔がつきそうな老コックさんが、炎天下に茸を干していた。そこで道元は彼に向って「涼しくなってから広げれば良いでしょう、またこの寺には若い者がいますから、彼らに任したらよいでしょう」と言った。すると老人は答えた「いずれの時を待たん、人は我にあらず」と。つまり君のように「涼しくなってから、あるいは誰かにやってもらう」などは、仏教を理解していないからだと叱られたと言う。

「ここで今」と三昧

 道元の「有時」は、したがってハイデガーの「存在と時間」ではなく、敢えて言えばアウグスティヌスの「hic et nunc」(here and nowここで今)に近い。アウグスティヌスは、過去は「想い出の今」、将来は「希望の今」であり、過去も将来も「いま」に収斂している。それゆえ「ここで今」を精一杯生きることを説いた。

 またニーチェも「力への意志(Wille zur Macht)」を説くが、この力は何かのための力ではない。いま何かに打ち込んでいる力であり、いわば「力のための力」である。意志も何かのための意志ではなく、いま遂行している意志、いわば「意志のための意志」である。

 

 したがって「力への意志」は、ただいま現在の行為に、無邪気な子供のように浸りきることであり、それは「三昧」といっても良いであろう。ちなみにニーチェのこの論文の邦訳本が『権力への意志』と訳しているが、これは誤訳である。

 

 周知のとおりニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』の「精神の三つの変化」も、第一が駱駝のように従順で、第二に獅子のように果敢に欲望を追求し、第三段階では無邪気な子供のように、行為に無心に溶け込み、いわば「三昧」となるという。

 

「ことわり」と「なさけ」と「愁いの力」

 道元の三昧は、しかし厳しい修行を要求する。弟子の懐奘(えじょう)が、危篤状態に陥った母親を、看取りに行くことを許さなかった。「修行をさしおいて、看病を先とすべきではない」といい、それは「妄愛迷情の悦び」に過ぎないという。なぜ道元はこれほどまでに厳しいのか。
道元は3歳で父親を、8歳で母親を亡くし、14歳で比叡山に入ったが、4年で下山して臨済宗の建仁寺に入り、明全(みょうぜん)に師事した。そして二人は宋へ渡る機会を得たが、明全の師が重病に伏したゆえ、明全の入宋を延期するように頼み込まれた。

 

 これに対して明全は「入宋を中止しても命が伸びる訳でもない。一人のために尊い時間をむなしく過ごすことは仏意にかなわない。入宋し悟りを開けば、多くの人が道を得る縁となる」と言い放った。道元はこれに感動したという。

 

 ところで道元の「閑居之時」の漢詩(偈(げ))に「愁人莫愁人道 向道愁人愁殺人」(愁人は、愁人に向かって道(い)うことなかれ 愁人に向かって道(い)えば人を愁殺す)とある。愁いある人に向かって愁いある人が説けば、いっそう愁いが増し耐え難くなるということであろう。
 確かにそうした事実もある。しかし病んだことのない人に、病気の苦しさは分からない。愁いのない人は、他人の愁いをなかなか理解できない。悲しみ苦しんでいる者どうしが、慰みあい涙も涸れて、一切が明らかとなり、明らめ(諦め)られる。


 そればかりか「犯罪被害者の会」や「交通事故遺族の会」などをはじめ、多くの悲しみを共通にする「自助グループ」が、世直しのボランティアにも出立している。道元のように「理」の立場にたち、厳しい自己抑制と修行も大切であるが、他方で人間の「情」も大衆救済の力を持つ。したがって道元も『正法眼蔵』において「愛語回天」も説く。

 

 いわく「面と向かって愛語を聞けば、気持ちがなごみ、人づてに愛語を聞けば、肝に銘じ魂に銘じる。愛語は愛心から生まれ、愛心は慈悲の心から生まれる。愛語には革命にもちかい大きな力があることを学ぶべし」と。

 このように見てくると、漱石の『草枕』の冒頭の一説「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」が偲ばれる。この文章は、実に軽妙に心理と真理を突いているが、本当に重い内容である。企業でも学校でも、この「理」もしくは「智」と「情」とが上手に按配されれば、みな楽しく「三昧」気分で励むことができると思われる。

<一版社団法人「日本経済協会」理事長(田村正勝)のコラムから転載>