コルベ神父とシモーヌ・ヴェーユ
昭和5年から11 年まで長崎で布教活動をしていたコルベ神父は、ポーランドに帰国してナチに捕らえられ、アウシュビッツに送られた。ここでは脱走者が1人出れば、抑留者のうち10人が指名され「餓死室」に送られる。そこで指名された10人のうちの1人が、妻と子の名を呼んで泣き叫んだ。そのときコルベ神父はその人の身代わりを申し出て、餓死室で亡くなった。
実は根本正一著『民主主義とホロコースト』という新書を読んで、この事件を思い出した。根本さんは日経新聞の編集者をしながら、大学院の小生が担当していた「社会哲学」で学び、博士号を取得している。この本はナチやホロコーストがなぜ生じたかについて、人間の心理や社会の制度および中間層の意識、あるいはワイマール国家、ヴェルサイユ条約、イデオロギー、ニヒリズムをはじめとする諸問題を、広く詳細に考察して「ホロコーストの社会哲学」を展開している。
この高著を読み、私はホロコーストされる側の人間について考えてみた。あの泣き叫ぶ抑留者の悲しみ、神父の深い思いやりと勇気は筆舌に尽くせない。とりわけ「思いやり」が薄れていく今日の「文明の危機」に、おのずと思いが馳せられる。
シモーヌ・ヴェーユ(1909~1943年)は、ヴェルサイユ条約で戦勝国のフランスが、敗戦国ドイツ人に与える屈辱を見て、フランスに対する愛国心を失くした。また彼女の友人は、日中戦争の折に「中国では子供たちが苦しんでいるのに、どうして笑えるのか」と叱られて驚いたという。ヴェーユは哲学教授の資格を持っていたが、ドイツの占領下の祖国フランスの子供たちが食べられないのに、自分だけ食べるわけにいかないと、イギリスの病院で、極度の栄養失調で亡くなったと、当時のイギリスの新聞が伝えている。
ちなみに日中戦争は太平洋戦争へと展開して、日本人の死者だけで300万人超、中国はじめ他のアジア諸国の犠牲者合計は、これ以上となったが、その発端は日中戦争であったことを思うとき、ヴェーユの真剣さがいっそう迫ってくる。
思いやりの希薄化と孤独
ギリシャ哲学は、「人間は共同体(ポリス)的動物」だというが、その核心は人間の「思いやり・共感」にあるといえよう。科学技術文明は人類に多くプラスを齎したが、その反面で、この人間の本質を奪いつつある。特急列車が車窓からの景色を奪い、沿線の人々の生活を思いやる我々の意識を薄めた。また現在ではスマホが、面と向かう会話の機会を奪い、同情や共同体意識を薄めている。
その他「共感・思いやり」の希薄化、それゆえの「人々の孤独」に関する例を挙げればきりがない。最近のこのような「思いやり希薄」の潮流から、例えばカルヴィニズムの教義に由来する「個人主義」が強い国民性のイギリスでも、多くの国民が孤独に悩み、ついに現政権は「孤独担当相」と「自殺予防担当相」を置き、さらに国家統計局の「孤独の指標」を確立するという。
また「アメリカン大学」では、大学生の39%に「鬱と不安」の症状がみられるという調査結果が出た。アメリカ疾病対策センター(CDC)によると、2006年から2016年の間に、10~17歳の自殺率が70%、黒人に限ると77%それぞれ増えたという。
日本の現状は、これらよりさらに深刻である。1998年から2011年までの14年間に、自殺者数は年間3万人を超え、現在でも2万人台である。しかしこの3万人は、自殺をはかって24時間以内に亡くなった人数であり、その後に亡くなった人も含む年間総自殺死亡者数は、5万人を超えた。テロも戦争もない現在の日本で11年までの14年間で70万人以上が自ら命を断っている。
テレワークとボランティア
このように「思いやり」の希薄化が、「テレワーク」や「AIに拠る仕事の剥奪」などによって、さらに進む。しかし既にこれらに対する反省も生じており、例えばアメリカではIBMやヤフーはテレワークを廃止し、グーグル、アップル、フェイスブックなどはテレワークに積極的でなく、必要な時はこれを利用できるが、普段はオフィス勤務する社員が一般的だという。さらに新オフィス、無料の社員食堂、車の点検サービス、多様なサークル活動を提供し、出社したくなるオフィス作りをしているという。
ただし介護や育児などを抱える社員にとっては、「テレワーク・在宅勤務」は必要不可欠だ。この双方のバランスが大切である。とくに介護離職者が年間10万人、その8割が女性という日本の企業実態においては、この点に関するテレワークの普及が重要だ。加えて彼らが孤立しない方法をも考慮すべきである。
他方で日本では「阪神淡路大震災」以来、ボランティア活動が活発になってきた。震災や豪雨あるいは台風によって生活基盤を奪われた人々に対する「思いやり」が、様々なボランティアを産み、ボランティア活動は19.4万グループ、707万人に達した(2017年現在の都道府県・指定都市および市町村社会協議会ボランティアセンターの把握)。これは「危機に瀕している近代文明」の「一条の光」である。
宮沢賢治と造化の厳粛さ----近代文明の浅さ
小林一茶は “やれ打つな蠅が手をすり足をする” と、また “我ときて遊べや親のない雀” とうたう。これらの俳句は誰もが知っているが、それは誰でも「生き物に対する思いやりの情」があるため、この句に共感するからだ。このように「思いやり」は、人間に対してばかりでなく「生きとし生けるもの全て」に対して向かう。
宮沢賢治(1896~1933年)は、ベジタリアン主義を厳格に貫いた。晩年病床に臥して、母親が滋養のあるものを摂らせようと「鯉の生き肝」を他のものと偽って食べさせた時、「おれはこういう可哀そうなものを食ってまで生きたくない」と言って泣いた。また牛乳なども体が受け付けず、すぐに吐いてしまったという。
彼は22歳の盛岡高等農林学校の研究生の時、彼の属する「農芸化学科」の隣にある「獣医学科」から、動物の「と殺実験」で殺される動物の悲鳴を聞いた。その経験から親友に「おれは生き物の体を食うのをやめた」と書いている。肉を口にすれば、殺される動物の悲鳴が聞こえてくるという。結局、急性肺炎で37歳の生涯を閉じた。
さて蒔いた花の種から芽が出るが、その横にこの芽とよく似た草も生えてくる。草も懸命に生きようと、自分を花の芽に似せる。まさに「造化」の不思議と厳粛さを見せられ、粛然とした気持ちとなる。
ところが日頃はこの気持ちを忘れ、「華(はな)は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きげん)に生(お)う」(道元『正法眼蔵』現成公案)という。この道元の真意を考えず、花は惜しまれて散り、草は嫌われて生えてくるなどと宣う。しかし雑草の命にも時折「思いやり」を向ける気持ちがあれば、地球破壊や自然破壊は免れるはずだ。
地球上の生命体は500万種であったが、産業革命以来これまでに、そのうち50万から100万種類が消滅したと見られる。辺野古に軍事基地を創るために、海を汚しサンゴ礁を崩壊させる。これは生きとし生きるものに対する思いやりの欠如、何よりも次世代の人々に美しい海やサンゴ礁を残すという「思いやり」の欠如である。
もっと端的には「武力による殺人」の悲劇についての想像力の欠如と、この悲劇に見舞われる人々に対する思いやりの欠如である。いまだに「パワーポリティクス政治学」「武力装備に拠る戦争防止」などという思考から抜け出られないのは、どんな理由があろうとも、思いやり欠如の「人でなし」と言えようか。