一般社団法人「日本経済協会」理事長
早稲田大学名誉教授 経済学博士 田村 正勝
(1)新元号「令和」とは-----元号に恥じない時代を築こう
中世ヨーロッパでは、国民を超越している為政者(国王)が、「国民は身分と職分を守れ」という命令(order)を下し、国民がそれを守ることによって社会の秩序(order)が保たれた。したがってorderには命令という意味と、秩序という二つの意味がある。身分は権力の有無による区分であり、職分は職業による区分であるが、固定されていた。
日本でも古代以来、天皇の命令たる「宣命」により、社会の秩序法則が形成された。この「宣」は「のり」であり、「法」も「則」も訓読で「のり」である。命令の宣(のり)が、法(のり)となり、則(のり)となる。要するに日本でもヨーロッパと同様に、超越者たる天皇の命令によって社会の「秩序法則」が形成・維持されると考えられてきた。
新元号の「令和」の「令」は「のり」とも読まれ、このように天皇の命令に、国民が整然と秩序だって従うという意味合いが含まれている。さらにその秩序の「姿、形が良い」という意味も含まれる。こうした点から「令」には、「命令」と「良い、美しい」の二つの意味がある。後者の意味では、たとえば「御令嬢」「「御令息」などと使用される。
さて平成時代は天変地異の自然災害が多く、また社会においても日本だけ「不況」が20年以上も続き、未曽有の「格差社会」となってしまった。さらに企業の粉飾決算その他の不祥事が続発し、官庁の不祥事も暴露された。加えて自ら命を絶つ人が年間3万人を超えるという悲劇が、1998年から14年間も続き、現在でも2万人以上がこの悲劇に見舞われている。他方で対外政策ではアメリカ追従度合いが強まった。
これらに鑑みて誰もが、「令和」の時代は、この年号の名に恥じない「整然とした美しい平和」な日本になってほしいと願っている。そのためには先ず、これまで本コラムで度々述べた「二重産業構造の変革」と「累積財政赤字の大々的な削減」が不可欠である。
しかし問題をより根本的にとらえると、欧米諸国の多くの不祥事からも明らかなとおり、今日の諸問題の多くが、「近代文明の危機」に由来すると言えよう。近代文明を支えてきた2本柱は、「経済主義のイデオロギー」と「中央集権国家体制」であるが、前者は“物的な豊かさと人間の幸福とを同一視する“というイデオロギーである。とくに日本の平成時代の諸問題は、この点に由来する。
(2)成熟飽和経済の3つのタイプ
経済が順調に発展してくると、いずれの国も「成熟飽和経済」に到達する。これは一方で生産力が十分につき、持てる生産力をフルに使用したならば、消費できないほどの生産物が生じる。他方でこれを消費の側から見ると、ほとんどの世帯が生活に必要な物資を十分に備えており、もはや余り消費を増やせない状態である。したがって「成熟飽和経済」に到達すれば、経済成長は余り望めない。それにも拘わらず成長策を推進すれば、多くの弊害をもたらす。
このような成熟飽和経済に概ね、アメリカは1960年に入るころまでに到達し、ドイツは1960年代の末に、日本は1970年代中葉に到達した。そしてこれら諸国の「成熟飽和経済」に対する対処の仕方が、それぞれ異なった。先ずアメリカ経済は、成熟飽和経済の下でも、依然として成長を続けるために「軍需産業」にシフトした。武器を生産し、これを輸出し、さらに戦争などでこれを消尽すれば、武器生産を続けられ、経済成長も可能となる。ベトナム戦争からイラク戦争に至るまで、背景に東西冷戦があったとはいえ、こうしたアメリカの経済戦略があった。
これに対してドイツは成熟飽和経済に到達すると、社会全体の方向転換を図った。もはや無理をしなければ経済成長は望めないが、その無理が将来に禍根をもたらすという認識からであった。こうして皆が「労働時間」を短縮し、「余暇の充実」を図るという方向へ転換している。
ところが日本は戦後多くの点でアメリカナイズされてきたから、アメリカと同様に成熟飽和経済に到達しても、依然として「経済成長路線」を取り続けた。ただし軍需産業にシフトするのではなく、「輸出第一主義」によって「経済主義イデオロギー」に邁進した。その結果、次に見るとおり、またドイツが危惧したように、様々な深刻な経済・社会・政治問題を引き起こしている。
この経済主義が第1に20年以上も続く「平成不況」をもたらし、第2に深刻な「所得格差」したがって生活困窮者を増加させた。第3に財政赤字を募らせ、「累積財政赤字」がGDPの2倍以上となった。第4に「企業の不祥事」と「官僚の不祥事」も度重なっている。
(3)日本経済の悪連鎖-----GDP成長と家計消費の未曽有の乖離
日本経済が成熟飽和に達した時期の1975年度を100とする指数でみると、表1のとおり輸出額は10年後の1985年度で2.5倍に増えている。これにより輸出先の幾つかの先進諸国において、少なからぬ企業が悲鳴を上げ、したがって日本の異常な輸出攻勢に対して世界的な反発が生まれた。その結果、1985年に日本の輸出抑制のための円高への合意、つまり先進5か国による「プラザ合意」が成立し、1985年の1ドル240円から87年には120円と2倍の円高となった。
その後10年ほどは日本の輸出伸び率も余り大きくなかったが、2000年以降に再び輸出攻勢が掛かり、2010年度には75年度の輸出額の4倍、17年は4.6倍となっている。ただし10年以降は「輸出数量」がほとんど伸びず、「円安」によって「貿易額の円換算額」が伸びている。他方で輸出増大に伴ってGDPも伸び、2000年度のGDPは1975年度の3.3倍となったが、その後のGDPはほとんど伸びていない。何故か。
(表1)GDP・輸出額・消費者物価・名目賃金・実質家計消費の指数(1975年度=100)
年度 |
1985 |
1990 |
1995 |
2000 |
2005 |
2010 |
2013 |
2015 |
2016 |
2017 |
GDP 輸出額 消費者物価 名目賃金 実質家計消費 |
210.7 254 155.1 143.8 88.9 |
296.7 251 167.0 218.7 98.0 |
331.5 251 177.2 238.2 126.9 |
335.6 312 180.0 237.6 116.1 |
332.0 397 176.0 225.3 108.6 |
315.4 407 175.4 215.0 102.1 |
317.6 432 175.3 213.1 105.7 |
328.6 432 175.1 213.5 102.6 |
332.3 417 174.9 214.4 102.4 |
337.2 462 175.8 216.0 101.9 |
*実質家計消費は物価上昇分を差し引いた消費指数
それは「輸出第一主義」による経済成長が、次の図のような「悪連鎖経済」に陥っているからである。70年代後半には、例えば日本の鉄鋼業界の設備投資が世界の同投資の70%を占めるほどに「過剰な設備投資」をしたが、他の業界も似たような状況であった。それゆえ「長時間労働」「過剰生産」「過剰輸出」が常態となった。
この輸出で稼いだドルが、一方で円に換えられ土地と株式に向かったゆえ、1990年までに地価と株価が合計1100兆円も跳ね上がる「バブル経済」をもたらした。他方でこのドルによってニューヨークをはじめとする海外不動産を買い漁った。しかしバブル経済は、91年から崩壊しはじめ、やがてデフレに突入した。同時に「長労働時間」「過剰生産」の進展に伴って、「労働生産性」も低下し、他方で円高によって企業の「海外進出・国内産業の空洞化」も進んでいる。
現在の日本の「労働生産性」はOECD加盟国34か国の中で20位と、先進諸国の75%に過ぎず、また「売上高営業利益率」は、東証1部上場企業でも、過去30年間平均で5.3%と欧米主要企業の約半分であった。ただし近年は8%に近づいた大手企業もある。したがって「賃金」も上昇せず、「消費不況」が持続している。2017年度にはGDPが、1975年度の3.4倍ちかくにもなっているのに、「実質家計消費」は同比1.9%伸びたに過ぎない。実質家計消費が一番伸びた95年度でさえ、75年度比26.9%増に過ぎなかった。
(4)長時間労働の悲劇と格差社会および中小企業の激減
いったい何のために経済成長を目指したのか。少なからぬ人々が心身の異常をきたし、さらに自ら命を絶つ人が、3万人という状況が14年間も続いた。しかもこれは、自殺を図って24時間以内に死亡した人数であり、自殺が原因で亡くなった総人数は、年間5万人ほどで、これが14年間も続き、合計70万人が自ら命を絶っている。その根本原因の一つが、このような長時間労働を伴う「日本型経済主義」であった。
(表2)1人当たり平均年間総労働時間(日本のカッコ内は正社員の労働時間)
|
日本 |
アメリカ |
カナダ |
イギリス |
ドイツ |
フランス |
オランダ |
1990 2000 2005 2014 2016 |
2031 1821 1775 1741(2008) 1724( / ) |
1834 1836 1799 1796 1789 |
1796 1777 1745 1713 / |
1765 1700 1673 1663 1694 |
1578 1471 1431 1302 1298 |
1665 1535 1507 1387 1383 |
1451 1435 1393 1347 1359 |
この表2より明らかなように日本人の年間労働時間は、他の諸国とかけ離れている。たしかに90年代の2000時間を超える状況は改善されたが、それは平成年間に正社員が500万人ほど減少し、パートをはじめとする非正社員が1000万人ほど増えたからである。したがって正社員の年間労働時間はなお2000時間を超えている。これはドイツ人の1.5倍以上である。また週49時間以上働く被雇用者の割合も、男性では30%ちかくであり、これも他の諸国の2倍以上の割合となっている(表3)。
(表3)週49時間以上働く被雇用者の割合(%)*上段:男女平均、下段:男性
日本 |
ドイツ |
イギリス |
米国 |
フランス |
スエーデン |
オランダ |
20.1 28.6 |
9.3 13.7 |
12.2 17.5 |
16.4 / |
10.5 14.6 |
7.1 9.9 |
8.7 13.5 |
(表4)「再分配後のジニ係数」の国際比較(係数と順位、年)
チリ1 |
露 4 |
米 5 |
日本 7 |
英 10 |
韓国 17 |
仏 17 |
独 21 |
0.5(11) |
0.4(11) |
0.41(13) |
0.38(14) |
0.33(15) |
0.30(15) |
0.30(14) |
0.29(14) |
*カッコ内は年数(ex.:11は2011年) *「労働政策研究・研修機構『国際労働比較2018年データブック』
および「OECD統計2012年」より作成、
加えて表4のとおり、所得格差も平成年間で大幅に進んだ。子供の6人に1人が、学校給食以外には、十分に食べられないという状況だ。表4の数字は「累進所得税」と「社会保障」などによって、所得再分配がされた後の「ジニ係数」であり、再分配以前のジニ係数はもっと大きい。いずれにせよ先進諸国では、日本はアメリカに次ぐ貧富の差が大きい国となってしまった。両国とも経済主義に邁進した結果である。
日本の経済主義のもう一つの大きな問題は、中小企業が急激に減少していることである。表5のとおり自営業者は2005年に650万人で全労働者(被雇用者、自営業者、無賃家族労働者)の10.2%であったが、2016年には同8.2%の530万人に減少している。要するにこの10年間で120万社の中小企業が消滅したが、このような減少は他の諸国では見られない。
これは「日本型経済主義」による「中小企業の過当競争」と、何よりも「二重産業構造」のためだ。大企業が、下請けをはじめとする「中小企業からの納品価格」を切り下げさせ、中小企業の利益を侵食しているからだ。つまり本来ならば中小企業に入るべき利益を、大企業の利益に組み込んでいる。これが「輸出第一主義」の経済主義の結果であり、円安がこの傾向をいっそう助長してきた。
(表5)従業員の地位別就業者数 *単位:1000人、カッコ内:対「全就業者」比%
|
被雇用者 |
自営業 |
||||
2005 |
2010 |
2016 |
2005 |
2010 |
2016 |
|
日本 アメリカ イギリス ドイツ フランス イタリア |
53930(84.8) 131143(92.5)24929(86.7) 31849(87.6) 22263(89.1) 16424(73.3) |
55000(87.3) 129267(93.0) 24929(88.4) 31849(88.4) 22770(88.5) 16829(74.7) |
57500(88.9) 141744(93.6) 26632(89.4) 36892(89.4) 23435(88.2) 17305876.0) |
6500(10.2) 10464(7.4) 3638(12.7) 4077(11.2) 2477(9.9) 5566(24.8) |
5820(9.2) 9681(7.0) 3979(123.7) 4180(11.0) 5329(10.9) 5138(23.7) |
5300(8.2) 9604(6.3) 4763(15.1) 4145(10.0) 3034(11.4) 5138((22.6) |
*「労働政策研究・研修機構『国際労働比較2018年データブック』より作成
先述のとおり1975年度から2017年度の42年間に、GDPは約3.4倍となったが、実質家計消費は2%弱しか伸びていない。また成熟飽和経済に達した1970年代半ばには、ほとんどの世帯が、生活に必要な物資をほぼ満たしていた。しかし先述のとおり現在では子供の貧困率が跳ね上がり、6人に1人が十分に食べられていない。ちなみにこの割合は、アメリカでは5人に1人である。
これら全てが根本的には、成熟飽和経済に到達したのに、さらに経済成長を追求したアメリカと日本の政策および国民意識と行動の結果である。もはや経済主義のイデオロギーを追求することはできない。経済主義が自然破壊ばかりでなく、経済および生活そのものをも破壊する。令和の課題は、経済主義を正しく克服することである。