時間とは“いのち”である
サミュエル・ウルマンの詩「青春」は良く知られてきたが、彼も詩も、日本で翻訳されて初めて、アメリカでも有名になったという。ウルマンはこの詩をマッカーサーに送り、マッカーサーは東京の執務室にこれを掲げていた。敗戦でやむなくここ訪れた昭和天皇もご覧になったという。こうした事情からこの詩が翻訳され、複数の日本語訳が流布している。
「青春は人生の一時期を言うのではなく、心の持ち様をいう。---歳月は皮膚に皺を寄せるが、情熱を失えば魂に皺が寄る—---」(田村意訳)。小生も折に触れこの詩を思い浮かべて、心燃やしている。
それにしても歳を重ねるにしたがって、時間が短く感じられる。とりわけ青春を駆け足でやり過ごし、「老人力」が増すに連れて、次第に短く感じられるようになる。難波田先生は「時間とはいのちである」と言われた。この「いのち」を「生活」と読み替えるならば、物理的な「普遍時間」に対して、各人の生活と結びついた固有の「特殊時間」を、より本質的な時間概念だと見做すことになろう。
かつて社会学者のデュルケムは「時間の基盤は社会生活のリズムであり、日、週、月、年などの区分は儀礼、祝祭、祭儀の周期に相応している」と主張した。これは時空を異にしても共通の物理的な「普遍時間」に対して、本来はそれぞれの社会には「固有の時間」があるということである。これも「時間とはいのち」と同様の観点から、さらに一般的に社会との関係から時間の本質をとらえている。
しかしこのような主張は単に「時間」に関する見解に止まらない。何事につけ普遍性を追求し、これを最重視する近代文明に対して、本質的な批判を投げかけている。科学主義や合理主義・効率主義が広まり、またとくに最近の情報化社会にあっては、理論や情報にとらわれて、それらを自家薬籠中の物と出来ない。それゆえ自由に思考することが難しく、不安感を抱くことが多くなっている。こうした社会状況ゆえに、自分を取り戻し納得のいく生活をするためには、「特殊時間」の充実がいっそう重要となってきた。
さてこのような「特殊時間」を承認して、先の「いのち」を文字通り「生命」と解釈することもできる。ここでは時間は「独自の生命時間」であり、自分の未来の「死」から逆算して、どれだけの「物理的な生命時間」が残されているかが問題である。
このような時間解釈においては、時間が厳しい課題をわれわれに投げかける。常に死を意識し、死ぬまでの物理的な「普遍時間」を、私的な固有の「特殊時間」でどのように塗り潰すかを、否応なく考えさせられる。われわれは一気に「死生観」の淵に立たされる。
過去および未来を包含する「今」
死生観「如何に生き、如何にあの世へとオサラバするか」では、何よりも自分固有の「特殊時間」が問題だが、それはしかし「普遍時間」を常に意識する。死生観は、自分に残されている普遍時間との関係で「特殊時間」を問題とする。したがって、普遍時間と特殊時間との交叉が、死生観の立脚点といえよう。
ところで過去は、現在において思い出しうる限りの過去であり時間であり、それゆえ「心に内面化された現在」にほかならない。これが嬉しさを、あるいは悲しい感情を呼び起こす。したがって過去は「現在をかじり取り」(ベルクソン)、「現在にしがみついている」(フッサール)などといわれる。ちなみにドイツ語の「思い出(Erinnerunngu)は、「内部で、内側に(innen)」の単語からの合成語である。
では未来はどうか。時間が否応なく我々の死生観を呼び覚ますが、死生観は未来時点「死」からの逆算の「普遍時間」と、私的な「特殊時間」との間に「折り合い」を付けるものである。それゆえ未来もまた「現在をかじり取り、これにしがみついている」と言えよう。
これまで述べてきた意味で、時間はまさしく「個人のいのち時間」であり、過去も未来も含む「分厚い現在」に収斂している。物理的には瞬時にすぎない、否、もしくは存在しえない「現在」は、死生観の立脚点の「生活時間」として、きわめて「分厚い時間」だといえる。
一定の普遍時間は、誰にとっても常に等しい一定の長さである。しかし「特殊時間」「分厚い現在」は、それぞれ異なり一般論は当てはまらない。各人の現在は、みな異なる厚さであり内容である。この現在に、いっそうの「厚み」と「うるおい」をもたらす工夫が大切であろう。
したがって我々は「過去を寛容に理解」して、それを現在に引き戻し、また未来に対しては「感謝に充ちた落ち着き」を期待して、これを現在に手繰り寄せようとするのであろう。 金融審議会報告の「年金だけでは2000万円不足ゆえ金融投資を」の警告も無視はできないが、いっそう重要なのは、特殊時間を大切にする精いっぱいの「ここで、いま(hic et nunc⦅アウグスチヌス⦆here and now)」の自覚である。
それにつけても最近、新規に「自営農業」に参入する人口が、毎年4~5万人もいるが、頼もしい。これが「令和」の年号に相応しい「美しい穏やかな新たな日本」の出発となることを期待する。
農林業は単に食糧を生産するだけでなく、とりわけ水田と森林が生態系を維持し、自然環境と国土を護っている。その農業が、面積も従事する人口においても急減少してしまった。日本の「カロリーベース食料自給率」は、1960年の79%から2018年には37%と、先進諸国で最低にまで落ち込み、危険な水準となった。
“帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす。なんぞ帰らざる”(陶淵明:帰去来の辞)
ロゴス19年12ノ月号拙文から転載