温暖化問題------あやかりたい「ミレーの信条」
地球温暖化の影響で、日本では春と秋の季節がかなり短くなってきた。厳寒の冬、春先の降雪、春と梅雨の区別がつかない気候。そして嘗てなかった高温がいつ迄も続き、なかなか秋が到来しない。ヨーロッパでは500年に一度の干ばつ、アフリカなど各地の深刻な干ばつ、アメリカやオーストラリアの山火事、パキスタンの全国土に及んだ水害。このように各地で異常気象の災害が広がっている。
この状況にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻に伴って、世界的なエネルギー危機が引き起こされた。これに対処すべく多くの国が、二酸化炭素の排出量の多い「石炭火力発電」の段階的削減を修正し、稼働させ始めた。そのために各国の石炭、石油、天然ガスの「生産補助金」の総額が、21年には前年の2倍となった。
日本でも22年1月からの「ガソリン補助金」は、12月までに3.2兆円に達し、これを23年1月まで延長する。また化石燃料への公的補助金額が世界最大となり、今年も「化石賞」(COP27)の不名誉だ。22年のCOP26では、産業革命の前からの気温上昇を1.5度に抑える目標を確認したが、これらの状況からこの目標達成は難しくなり、今世紀末には2.5度になるという予測もある。
さて短くなった秋ではあるが、この執筆の現在、漸く「天高く馬肥える秋」となり快適である。紅葉と読書とスポーツおよび芸術の秋だ。様々な美術観巡りも楽しい。筆者は壮麗な宮殿などの題材の絵よりは、ミレーや日本画のような自然体もしくは平凡な題材の絵を好む。ルオー、マチス、ドラン、ピカソ、ブラックなどフォービズムやキュービズム、また抽象画の多くには馴染み難い。これは小生の美術感覚レベルが低いためであろうか。
ピカソの初期のデッサンなどには感銘するのに、大成したピカソ作品には馴染めないのは、小生が未熟のためであろう。他方でミレーは「晩鐘」「種まく人」「落ち穂拾い」「羊飼い」「鵞鳥を守る少女」など、農家の人々の日常の姿を描いているが素晴らしい。「われわれは平凡なことを、立派なことを表現するのに用いることが出来なければならない。そこに真の力がある」とミレーは語った。彼はこの信条に従ったのであろう。
実は温暖化問題に関しても、このミレーの思想が当てはまる。何よりも「自然との共生」という単純なことの追求が重要である。可能な限りガソリン車を使わないとか、「地産地消」や「リサイクル」「リユース(再利用)」「リデュース(節約)」の「3R」をはじめ「自然との共生に向けた生活」が重要である。これに対して「SDGs」は17項目の目標を掲げているが、その多くは「自然との共生」よりは、なお「人間中心主義の世界観」に立っている。
「いろはガルタ」の「り」に関して-----深刻な人口問題
環境・温暖化問題と並ぶ、もう一つの大きな課題は「人口減少問題」である。「一人っ子政策」を止めた中国さえも、この人口減少に直面する。言うまでもなく最も深刻なのは日本である。日本の人口は近年、毎年60万人ほど減少し続けているが、これは鳥取県その他の幾つかの県の人口全体と同じほどである。
日本では1人の女性が生涯に産む子供の数の「合計特殊出生率」が、21年は1.30で、先進諸国の最低だが、これは6年連続の低下で「出生数」も過去最低であった。戦後間もなくは経済成長のためにも“産めよ増やせよ”で、人口が急増した。「いろはがるた」の「り」は「りちぎもののこだくさん(律義者の子沢山)」であり、世相にマッチしていた。
ところが日本は今や、世界で最も厳しい「少子高齢化」の国となってしまった。この対策が喫緊の課題であるが、「人口減少を食い止め」あるいは「人口減少に対応する社会への転換」には長期間かかる。それゆえ「労働人口不足」が、さらに深刻となり、そのマイナスの影響は日本社会全体に及ぶ。
したがって今以上に、暫くは外国人労働者に頼らざるを得ない。ところが外国人労働者の日本離れが進んでいる。これまでも建設業や介護あるいは商業、農業など広く外国人労働者を頼りにしてきたが、これが期待できない状況となっている。それは、日銀の「金融緩和」の愚策により、1ドル150円ちかい「円安」となったからだ。
米ドル換算で見た日本の賃金は、この10年で4割減り、アジア新興国との差が急速に縮小してきた。それゆえ上述の業種においても、外国人労働者の間に「日本離れ」が始まっている。これまで彼らに対する処遇や法令違反が指摘されてきたが、それを改善するのは当然であるが、円安によるこの問題はより根本的である。
円安は「輸入インフレ・生活費の高騰」「中小企業の困窮化」「所得格差」「貿易赤字」など弊害だらけの結果をもたらした。加えて「外国人労働者問題」も引き起こしている。日銀の「金融緩和・円安策」は、すでに遅きに失するが、早く転換すべきである。
理屈と膏薬は何処にでも
先の「いろはかるた」の「り」の「りちぎもの----」は、世相に合わなくなったからか、現在では「りくつとこうやくはどこにでもつけられる」と変更されている。たしかにこの方が今の世相にマッチしているが、それは決して肯定的な意味ではない。現在は世界中に「屁理屈」が蔓延している。
プーチンのウクライナ侵攻のための屁理屈と「汚い爆弾」のプロパガンダ屁理屈、NATO諸国のこれを防ぐための「武器供与」に関する屁理屈。この問題の解決には、お互いの譲歩と対話以外にない(その内容については、小生のホームページ「コラム」と前回のロゴス紙に詳述)。しかしNATOも国連もこの問題を「民主主義か専制主義かの二者択一」の屁理屈で、武器を供与している。
またイギリスもアメリカも党首の現実離れ「屁理屈」で政権交代となった。とくにトランプの屁理屈は「大統領選の不正」「移民問題の国境障壁」「政敵に拠る陰謀」「米国を再び偉大に」など、いずれも笑止千万だ。またフランスやイタリアのポピュリズム政党の拡大も、屁理屈やプロパガンダに拠るところが大きい。
日本も同様。安倍政権の問題に対する国会答弁にも、屁理屈と思われる見解が多かった。その典型が「もりかけ問題」や「桜を見る会」の弁明だ。また今日の「自民党と旧統一教会問題」に関する答弁、「積極滝平和主義・敵基地攻撃の防衛費予算拡大論」「原発回帰策」なども屁理屈に近いが、立地市町村に対する「原発交付金」も、5億円から10億円に引き上げる。
さらに岸田首相の「新しい資本主義」も、「転職・構造的賃上げ」など実態無視の屁理屈だ。デジタルなどのIT技術を学びなおす「リスキリング」によって、給料の高い成長産業へ転職を進めるが、はなはだ疑問である。すでにアメリカのIT大手には、人減らしの波が襲っている。メタ(旧フェイスブック)は、全従業員の13%の1万1000人を削減する。ツイッターは約50%の3700人の削減など、米IT業界では、10月までに5万2000人以上が削減された。
喫緊の課題「学の独立」
これに関しては取り巻きの官僚や政治家をはじめ、とくに経済学者の未熟さに拠るところが大きい。日本の経済学者の多くが、英米流の理論に偏っているから、サッチャーおよびレーガンの真似をして「新自由政策」を政権に推薦した。それゆえに日本をアメリカ、イギリスに次ぐ第3番目の「格差社会」としてしまった。
その反省もなく「富裕者が先行すれば、そのしずくが社会全体に回る」というアングロサクソン流の屁理屈「トリクルダウン理論」をも、政策に導入させた。その結果いっそうの所得格差となってきた。また財政赤字に関しても、「いくら財政赤字を出しも問題ない」という、誤ったアメリカ由来の「現代貨幣論(MMT)」を主張する日本の経済学も、いまだに目につく。
このようにアングロサクソン流の学問に衣依存しているのは、経済学だけではない。例えば政治学にも見られる。議会政治の模範をイギリスに見て、それに依存する政治学の典型が「二大政党論」だ。これを政治学者が喧伝して、日本でも「二大政党」を形成すべく「小選挙区比例代表制」を導入させた。その結果が今日の政党政治の混迷である。
英米をはじめドイツ、スウェーデンはプロテスタントの「救済の選び・予定説」の影響から、何事につけても「リーダーシップ」を容認する傾向が強く、二大政党制が根付いた。しかし日本は、カソリックの「神の下における平等」の影響のフランスやイタリアと同様に、「八百万の神信仰」の影響で、リーダーシップを認めない国柄だ。
それゆえフランスやイタリアと同様に、二大政党でなく「小党分裂・合従連衡政権」が政治風土に合っている。日本のかつての自民党と社会党も、政策信条とカネの構成から見ると、両政党の中の派閥が政党と同様な組織であり、それらが合従連衡していた。またドイツやスェーデンなども、文明の進展にともなって国民の価値観が多様化し、今日では「合従連衡政権」となっている。
これらから日本の政治について言えることは、現在の選挙に関する「死に票」「若者の無関心・選挙離れ」「国会の形骸化」の大きな要因の一つが、小選挙区的制度の導入だと言える。もっとも今や日本も「小党分裂・合従連衡」の方向へ動き出している。
このように学問においても、なおアングロサクソン的思考に追従する傾向が強く、「学の独立」が出来ていない。これが「財政赤字」をはじめ、様々な弊害とりわけアメリカ追従の政策をもたらしている。「学の独立が国家の独立に繫がる」という小野梓や高田早苗の思想を、大隈重信も重視して早稲田大学の校歌にも歌っているが、この「学の独立」も喫緊の課題である。