格差経済と財政・政治改革の方位

熟慮が足りない政策スローガン

 アメリカ、日本、イギリスの「ジニ係数」は、それぞれ0.3950.3810.360で、「トップ1%の高所得者」がそれぞれ全所得の48%、45%、44%を占めるという「格差経済社会」である。いずれもレーガン、サッチャー、中曽根・小泉による「新自由主義政策導入」に依るところが大きい。

 

 日本の「貧困線」は、年収127万円以下(月給10.5万円以下)だが、これが全体に占める「相対的貧困率」は15.7%で、1人親世帯では44.5%、母子世帯では51.4%にも達している。そして母子世帯の34%が、この夏休み期間中の食事が、1日2回以下だったという。ちなみに1980年の日本の「相対的貧困率」は、8%と低かった。

 

他方で「中小企業数」は1986年の528万社から、2021年には358万社へと170万社以上も減少し、中小企業倒産も激増した。現在は「小規模企業」が305万社、「中規模企業」が53万社で、24年4~9月の倒産も、10年ぶりに5000社を超えている。逆に大手企業は「円安」の恩恵から、過去最高益を更新し続けている。

 

 このような実態からして自民党総裁選候補者の主張、例えば“企業の解雇規制を緩める”とか「所得倍増」などは、全く見当はずれだ。これでは貧困者をさらに困窮させ、所得格差を大きくする。また日本経済の発展段階からしても「所得倍増」もあり得ない。また“中小企業の賃上げ”を主張しても、そのためにどうすべきかには触れていない。

 

 他方で人口急減も深刻で農業、介護、福祉、教員など不可欠な職場が困窮し、地域コミュニティーが崩れ始めている。橋梁や水道管をはじめ「生活関連インフラ」の劣化、加えて財政赤字もひどく「国と地方の長期債務残高」はGDP2.6倍と、破綻したギリシャ政府より深刻である。

 

 抜本的な税制改革と無利子国債

 自民党や立憲民主党の党首候補者は、これらの問題にも触れてはいるが、そのための方策は語らず、「減税」とか「経済成長」など抽象論に終始した。この財政赤字の中で、減税が可能となるためには、税制の抜本的改革が不可欠だ。それには「金融分離課税」を廃止し、「労働所得と金融所得の総合累進所得税」として累進度を急カーブに強化し、税収を増やすべきである。

 

法人税に関しても改善の余地が大きい。資本金100億円以上の大企業の「法人税実効負担率(純益に対する実際の負担の割合)」は11%程度で、中小企業の2325%の半分以下である。多くの「租税特別措置」があるからだ。このような「法人税特別措置」を見直して、中小企業並みの実効負担率にすべきである。

 

ちなみに既述のとおり大企業の多くが、円安も手伝って過去最高益もしくはそれに近い利益を上げ、自社株買いで株価をつり上げている。これら大企業の結果から、企業の内部留保は12年連続で過去最高を更新して、今や600兆円を超えている。

 

さらに家計の膨大な「金融資産2212兆円・海外預金40万件」を、「財政改善のために利用する政策」も不可欠である。1100兆円に達する「累積普通国債」を全て、「無利子の国債」で借り換えねばならない。それは「相続税・贈与税ゼロの無利子100年国債」の発行により、可能となる。国民の金融資産が2000兆円以上もあるゆえ、この国債は必ず捌けるであろう。

 

莫大な金融資産所有者が「海外口座」を開いている大きな理由は、「資産隠し」や「贈与税・相続税逃れ」であろう。それゆえ「相続税・贈与税なしの国債」は、彼らにとって極めて魅力的である。ただしこの国債には、10年間は転売できないという条件を付けて、即売の異常な転売ゲームを防ぐべきだ。それでも例えばこの国債を10億円買い、それを息子に譲渡する。息子は10年経てこの国債を転売すれば、無税で10億円を手にできる。

 

こうした事情から、この無利子国債は十分に売れるであろう。他方この返済のために、政府は毎年10兆円積んでいけばよい。したがって現在の「国債費」の28兆円(24年度)との差額の15兆円以上が、社会保障などの用途に向けることができ、累積国債の懸念は払拭される。もっともこの「無利子国債」は、金持ち優遇という非難も生じがちだ。しかしこれ以外に、日本政府の異常な累積赤字を消し去る方策はない。

 

とろが政府・自民党は、逆に「国防費」のGDPの2%への増額や、「再エネ」に触れずに「原発回帰」など財政負担増の連呼だ。これらは財政の観点ばかりでなく、国民生活の安全にも反する。前者は結果的に世界の紛争を煽る。後者は「解け落ちた核燃料(原発デブリ)の取り出し」の困難からも明らかなように、大きな危険性と財政負担を伴う。

 

経済社会協議会で茶番劇の克服

 ところで「議会制民主主義」は、「自由討論」「国会議員は全国民の代表として自己の良心に従う」「多数決による結論」の3つの原理を基本としている。しかし政党政治の発展に従って、議員は「政党規約」と「政治綱領(マニフェスト)」に縛られ、自由討論に徹することはできない。

 

また国会議員は「全国民の代表」ではなく、「政党の全国組織の代表としての良心」に従う。党員はこれに反すれば、次の選挙で「公認」を得られない。したがって議会制民主主義の3原理のうち、「多数決」だけが残る。政党の「金権政治体質」も「政治資金問題」も、ここに根差している。

 

 したがってマックス・ウェーバーは「結論は与党の意見に最初から決まっているゆえ、国会は詐欺、これが言い過ぎならば『茶番劇』だ」と批判した。自民党の政治資金問題は、このような「議会制民主主義・政党政治」の欠陥に由来するゆえ、根本的な資金運用規制が不可欠だ。

 

 他方で今日の民主主義は「組織化された大衆民主主義」である。利害関係を同じくする人々が「組織」を形成し、その組織力で自分たちの代表を国会に送り込む。様々な業界、労組、農協、医師会、日教組はじめ多くの社会組織が、国会に実に多様な要求をする。そして国会はこれに応ぜざるを得ないが、国会議員は十分な知識を備えてはいない。

 

 そこで試験をパスしてきた官僚が、これらの要求を満たすべく「法律」を作る。それゆえ国会議員による「議員立法」は、全体の2割ほどにすぎず、したがって民主主義政治は、実質的に「官僚政治」に陥っている。

 

しかし先の「茶番劇」と「官僚政治」の弊害を克服するために、EU諸国はどこでも市、州、国および EU全体のそれぞれのレベルで、「経済社会協議会」の制度を導入している。ここでは諸組織の代表が一同に会し、重要な問題について「会期」なしに協議し、そのプロセスが公開される。これにより諸組織間に意見の相違があっても、最終的に「当然の事物の論理」に到達する。上程されたこの結論を、議会は無視できない。